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  • 2014.07.10

[追悼企画]さようなら、春一番さん。 再録・ゆでたまご・嶋田隆司×春一番(前編) 「だいたい小学校高学年ぐらいから、すでに『猪木さん』って“さん付け”で呼んでましたからね」(春)

アントニオ猪木のモノマネで一世を風靡したお笑いタレントの春一番(本名・春花直樹)さんが、7月3日、肝硬変のため死去した。
春さんは、1985年に片岡鶴太郎に弟子入りし、1988年にNHKドラマ『翼をください』でデビュー。その後、猪木のモノマネで一躍お茶の間の人気者となった。
1994年に所属事務所を解雇されてしまうほどの酒好きで、2005年に腎不全で緊急入院。絶対安静、ICU(集中治療室)での闘病を余儀なくされ、一時は危篤状態に陥ったが、猪木の見舞いを機に、奇跡的な回復ぶりを見せて復活を果たした。
しかし断酒はできず、ここ数年は酒量を減らしながら仕事を続けていたが、このたび帰らぬ人となってしまった——。
1966年8月13日、神奈川県生まれ、岡山県育ち。享年47。

 
※かつて携帯向け格闘技総合サイト『スカパー! バトルLIFE!!』(現在はサービス休止)にて連載をしていた、『キン肉マン』の作者・ゆでたまご嶋田隆司先生がホスト役を務める対談コーナー『肉處 しま田』の第3回目のゲストとして登場したのが春一番さんだった。お二人はプロレスを通じて出会った旧知の仲であり、今回、春さんの追悼企画として、嶋田先生にこのテキストを『ビッグファイト』にて改めて取り上げることをご快諾いただき、ここに再録させていただきました。春さん、生前は本当にお世話になりました。そして、たくさんの楽しい思い出をありがとうございました。


「初めて会ったときに春ちゃんの猪木のモノマネを聞いたんですよ。それで『これを舞台でやらない手はないよ!』って言ってね」(嶋田)
 
嶋田 すいません、遅れちゃって……。

 (猪木のマネで)バカヤローッ!! というわけでたまごさん、お借りしていた50万円、きのう全額振り込んでおきました。

嶋田 ああ、それはわざわざありがとうございます(笑)。

——これで今日は安心して飲めますね(笑)。

 ええ、そういうことで。ンムフフフ。ボクとたまごさんは知り合って何年ぐらいになるんですかね?

嶋田 初めて会ったのはボクが29歳ぐらいのときやったと思うんですよ。

 昔はよく全日本プロレスとか観に行ってましたよね。それで試合後、水道橋の焼肉屋で選手がメシ会をやってるとこに行って、そこのトイレでボクがションベンしてたときが初対面ですよ。

嶋田 そうだそうだ。焼肉の『大門』ですね。

 その頃、たまごさんもいまみたいにオシャレな格好をしてなかったんで、地味な格好で隣にやって来て、「あの……春一番さんですよね?」って言うから、「なんかめんどくさいヤツが来たなあ」と思って、ぶっきらぼうに「はい、そうですけど」って答えたら、「ボク、『キン肉マン』のゆでたまごです」って言うから「ああ! どうもどうも!」って、お互いにチンポを出したまま恐縮して(笑)。

嶋田 春ちゃんも(甲本)ヒロトくんも、出会ったのは同じ日だったと思います。

——そこで嶋田先生はヒロトさんを見て、「汚ねえヤツが来たな」って思ったっていう(笑)。

嶋田 当時のヒロトくん、ホントに汚いヨレヨレの無地のTシャツを着てたんですよ(笑)。

 あの、おじいちゃんが着てそうな肌着みたいなやつでしょ(笑)。

嶋田 そうそう!(笑)。

——春さんもヒロトさんとはそのときが初対面ですか?

嶋田 いや、春ちゃんとヒロトくんはもっと前からの知り合いですよね。

 それで、そこでみんなで酒を酌み交わしたんですけどね、でもいっぱい選手がいたんで、緊張してあんまりメシが喉を通らないんですよ。その頃、ボクは飲むだけで食べないほうでしたから。いまはすっかりこんなにブヨブヨになっちゃいましたけど。この夏で5キロ太りましたもん。

嶋田 太ったよねえ。

 太りましたよ。いま、めちゃめちゃ食べてますからねえ。

——それでも相当痩せてるほうだと思いますけど(笑)。

嶋田 そのときに連絡先をすぐに交換して、それからはしょっちゅうみんなで遊びに行くようになりましたね。それで! その初めて会ったときに、春ちゃんの猪木のモノマネを聞いたんですよ。春ちゃんが猪木のモノマネをしてるなんて知らなくて、仲間内だけでやってたみたいなんですけど。それがムチャクチャおもしろくてね!

 まだその当時は、テレビでも漫談とか司会とかをやってる頃だったんですよ。

嶋田 そうそう。『夕焼けニャンニャン』に出てた春ちゃんを知ってたんで、焼肉屋で初めて見かけたときも「おぉ〜っ! 『夕焼けニャンニャン』に出てる人がいる〜!」って。「あの(片岡)鶴太郎の弟子や! これは一声かけとかんと!」って(笑)。

 あの頃は鶴太郎師匠の付き人をやってた頃ですから、「春、ちょっとケツ出せ」とか言われて、ケツを出しながらおニャン子クラブのかたまりに突っ込んでいったりとかしてて。おニャン子に思いっきり引かれたりしてましたけどね。ンムフフフ。

嶋田 とにかく、そこで初めて猪木のモノマネを聞いたんですよ。春ちゃんって、“素の猪木”をやるじゃないですか? 「うまいなあ!」って思って。

 (猪木の声で)「そうですねえ」とかそういう感じで。

嶋田 そうそう。こっちがなんかインタビューすると、それに答えてくれるという。それで、「これを舞台でやらない手はないよ、春ちゃん!」って言ってね。

 それがいまじゃあ、すべて猪木さんのモノマネの依頼なんで。もうガウンも10着近く作って持ってますからね。昔、深夜番組で『EXテレビ』って番組があったじゃないですか? そこでインポ特集をやって、「インポについて語る番組なんですけど、ガウン姿でお願いします」とか言われたことがありますけど(笑)。「関係ないじゃん!」って思うんだけど。そもそも、なんでそんなのに呼ばれなきゃいけないんだろうって(笑)。

——春さん、インポだったんですか?

 ちょっと前、一時インポでしたね。(猪木の声で)まあ、いまはすっかり闘魂棒も復活しました。

嶋田 やっぱりプロレスが繋いでくれた縁というかね。ボクは馬場派でしたから、派閥は違うんですけど(笑)。

——あっ、そういえばヒロトさんの家のテーブルを壊した話をお願いします(笑)。

 あの日も、たぶんプロレスを観に行った帰りですよね。飲んでからヒロトさんの家に行って。当時ヒロトさん、たまたまウチから徒歩1分ぐらいのとこに住んでたんですよ。で、そこで当然プロレスごっこになりましてね。

嶋田 なんでプロレスごっこになったんでしたっけ?

 ほら、たまごさんはその頃ぽっちゃりしててボヨって腹が出てたんで、みんなから「ディック・マードックに似てる」とかなんとか言われてて。そこでボクが「なにがディック・マードックや!」って言って、取っ組み合いになって。

——そんな理由(笑)。

 で、ボクが引っくり返っちゃって、ちゃぶ台にバーンって頭をぶつけちゃって血が出て、ヒロトくんちのちゃぶ台がパリンって割れたんですよね(笑)。

——木のちゃぶ台がですか?

 木のちゃぶ台が。

嶋田 名勝負でしたね(笑)。

——そんなことを連日連夜やってたんですか?

嶋田 まあ、会うとかならず「ファー!」とか奇声を発してやってましたよね。
 
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