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  • 2014.10.16

GK金沢克彦コラム #17

GK金沢コラム連載第17回!! 「神ちゃん、プロレスは好きですか?」

GKと50歳を迎えたミスター女子プロレスは同期の間柄!!

 新日本プロレスの1013両国国技館が4時間半興行ならば、こちらも負けてはいなかった。その2日前に同じ両国で開催されたLLPW-X『ミスター女子プロレス生誕半世紀イベント SUPER LEGEND~伝説から神話へ』なるイベントである。神取忍の生誕50年記念大会なのだが、要はデビュー○○周年などは関係なく、「この10月で私は50歳になりますよ!」という、男女問わず滅多に聞くことのない謳い文句を表に出した大会。全5試合の興行だから3時間程度と予想していたら、これがとんでもない。試合が2時間、歌謡ショーで2時間の計4時間興行にビックリさせられた。

 

 それでも、歌やら演出などでけっこう楽しめた。初めて見た秋葉原の地下アイドルグループのダンスと歌に感心したかと思えば、むかし“おニャン子クラブ”のメンバーでイチバン可愛いと秘かに思っていた城之内早苗さんの登場に少しときめいた

り、その城之内さんと元ビューティ・ペアのマキ上田さんによる『かけめぐる青春』には思わず浮き足立ったりもした。うん、本物だ。なにが本物かって、マキ上田さんの多少の音痴っぷりが(※失礼!)、いまも変わらないところに本物を感じたわけである。長与千種によるクラッシュ・ギャルズのデビュー曲『炎の聖書(バイブル)』も聞けたし、サンプラザ中野くんがごくごく普通に真面目に『大きな玉ねぎの下で』と『RUNNER』を歌った際にも聞き惚れた。本人による名曲の生歌はべつにファンではなくていいものだなあ、と激しく思ったしだいである。

 

 もちろん、これらのゲストも神取と何らかの交流がある人たちなのだが、神取がもっともこだわっていたのはマキ上田さんのゲスト出演だった。これは6日夜に出演したサムライTV『速報!バトル☆メン』の放送中や打ち合わせ中に本人から聞いた言葉。「私はジャッキー(佐藤)さんの団体から始まった人間だから、今回はマキ(上田)さんにぜひ来てもらいたかったんだよね」。そう、神取もそういうことをふつうに言える人柄を身に付けたし、ちゃんと大人になったのだなあと思った。

 

 ファン投票により決まった、あまりに豪華でハチャメチャなメインカード(神取忍&ダンプ松本&藤原喜明vs天龍源一郎&長与千種&堀田祐美子)終了後、共同インタビューに応じた際にもこう言った。

 

「まさかプロレス入ったときにプロレスラーとして成立しないだろうっていう人間が50までできて、こういうカタチでみんなの力を借りてイベントを開催できたことに感謝しています」

 

 そう、本人の言葉にあるように、プロ入りしてから数年の神取はその自由奔放な性格と、女子柔道世界3位という本物のアスリートとしての実力・経験からプロレス界にあって悩み、葛藤し、問題児扱いもされた。これは記録として書いているわけではなく、私自身がその当時の神取を間近に見て、取材して、彼女の声を聞いてきたからわかることなのだ。1986年に業界入り、業界デビューの神取とワタクシ金沢は完全に同期の間柄。同年5月に新大阪新聞社に入り大阪本社で約3カ月半の研修期間を過ごした私は、8月のジャパン女子プロレス旗揚げ戦に合わせ、『週刊ファイト』記者として東京支社勤務になったのである。神取を初めて取材した場所は千葉公園体育館だった。『週刊ファイト』の裏表紙2ページカラ―の特写と、女子プロコーナーでの1ページインタビューのためだった。

 

 いまはどうなっているか分からないのだが、当時の千葉公園体育館の裏手は文字通り小規模ながらお花畑や子ども用の遊具が設置された公園になっていた。そこで撮影を始めたところ、途中から神取の笑いが止まらなくなる。

 

「ねえ、私がお花畑にいるって、こんな似合わないものないよね? 自分でも気持ち悪くなってきちゃったよ、アッハハハハ!」

 

 たしかにその通りなので、撮影方針を変えて、公園でランニングしたりスクワットをしたりと、ふつうにトレーニングしている姿をカメラに収めることにした。撮影後、ベンチに座ってインタビューを始めた。9月とはいえ日射しが強く、汗っかきの私はけっこう汗だくになっていた。

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