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  • 2014.08.07

パワプロの生みの親!! あの武藤敬司も絶大なる信頼を寄せるコンディショニングトレーナー・桑原弘樹インタビュー(前編) 「一介のサラリーマンがなぜカリスマトレーナーになったのか?」

「29歳のときに大病を患ったんですよ。わかりやすい病名で言うと白血病ですね」

プロレスファンなら一度は耳にしたことのある江崎グリコから発売されているサプリメント『パワープロダクション』WRESTLE-1の武藤敬司が新日本プロレス在籍時代から愛用していることでも知られているが、今回はその開発者であり、現在はWRESTLE-1でコンディショニングコーチも務める桑原弘樹氏に、その開発秘話などを聞いてみた。
桑原弘樹(くわばら・ひろき)
桑原塾主宰。NESTA JAPAN(全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会 日本支部)のPDA(プログラム・ディベロップメント・アドバイザー)。1961年4月6日、愛知県名古屋市出身。江崎グリコ株式会社にてスポーツフーズ営業部部長兼プロダクトマネージャーとしてスポーツサプリメントの開発に携わる。また多くのプロスポーツ選手に対して、独自のコンディショニング法に基づいた指導を行なったり、各種スポーツ誌への執筆や幅広いテーマで講演会を実施するなど多方面にわたって活躍中。現在は桑原塾を主宰し、WRESTLE-1のコンディショニングコーチも務めている。

──桑原さんには、9月9日に復刊される『ゴング』でコラムを書いていただく予定で、交流のある様々なレスラーの方を紹介していただこうと思っているんですが、その前ふりとして、「桑原弘樹とは何者なのか?」ということを、改めて読者の方に知っていただこうと、今回『ビッグファイト』でインタビューさせていただくことになりました。

 

桑原 よろしくお願いします。

 

──こちらこそ、よろしくお願いします! まず、桑原さんと言うと、江崎グリコさんから発売されているパワープロダクションというサプリメントのブランドを立ち上げた方としてプロレスファンの間では有名ですけど、どんなきかっけで始められたんですか?

 

桑原 ボクは元々サラリーマンだったんですけど、ちょうど年代的にもプロレスの全盛期をいくつも迎えている年代なんですよ。ちっちゃい頃はそれこそジャイアント馬場ですし、中学生ぐらいでアントニオ猪木かな? タイガー・ジェット・シンvsアントニオ猪木の時代、異種格闘技戦の時代が大学生ぐらいまで続いていたんですよ。

──新日本プロレスの黄金時代ですよね。

 

桑原 それをどっぷり味わっている世代なので、一言で言うとプロレスファンなんですよ(笑)。

 

──非常にわかりやすいです(笑)。

 

桑原 新日本プロレスが大好きで、全日本プロレスが嫌いというわけじゃないけども、当時はプロレスの見方も違っていて、いい意味で「新日本最強」、「アントニオ猪木最強」って、洗脳されてましたね。

 

──つまり、猪木信者だったわけですね。

 

桑原 猪木信者ですね。ボクが入社するときに履歴書に書いた尊敬する人物3人というのは、アントニオ猪木、千代の富士、落合博満なんですよ。

 

──見事に80年代のスーパースターが勢揃いですね。

 

桑原 ただ、それはグリコなんですよね。で、別のある大手の会社も受けたんですけど、やっぱり尊敬する人物としてアントニオ猪木と書こうとしたら、ウチの伯母さんに、「そういうお固い会社に行くときは、偉い人が聞いても、『う~ん』と唸るような人を書いておきなさい」って言われたんですよ。

 

──猪木さんだと違う意味で唸る人がいそうですからね(笑)。

 

桑原 で、「じゃあ、誰がいいの?」って聞いたら、「シュバイツアー博士はどうなの?」って言われたんで、面倒くさいから書いておいたんですよ。そうしたら、最終面接は重役何人かとボクの面接なんですけど、運悪く、「シュバイツアー博士のどこが好きなんですか?」って聞かれちゃったんですよ(笑)。


──ダハハハ! これは気まずいですね(笑)。

 

桑原 まるでわかんないじゃない! シュバイツアーが誰かということも、博士ということも知らないんだもん(笑)。

 

──名前しかわかってない(笑)。

 

桑原 そう、しどろもどろで(笑)。でも、こういうのも運だなと思って。その会社は見事に落とされましたけど、それぐらいプロレスが好きだったんですよ。

 

──なるほど。そして、グリコに入られたんですね。

 

桑原 そうです。グリコではお菓子の営業や開発もやってたりしたんですけど、29歳のときに大病を患ったんですよ。わかりやすい病名で言うと白血病ですね。

 

──ええッ!? 白血病!

 

桑原 半年間無菌室に入ってましたから。免疫抑制剤打って、放射線治療して、もちろん髪の毛も全部抜けちゃう。8割以上はダメですって、お医者さんに言われてたんで。

 

──命の危険もあったんですね!

 

桑原 そうなんですよ。まあ、ラッキーにも回復できたんですけど、半年間入院するということは、実質的に1年は棒に振ることになるんですね。無菌室って、ビニールに囲まれて、まったく動けない状況なので、身体の筋肉のすべての機能が衰えちゃって、無菌室から出ても歩けないんですよ。だから、退院しても会社に行けないし、変な話、トイレで立ってオシッコをしてられないレベルですから。

 

──半年間でそこまで衰えちゃうんですね。

 

桑原 その頃が29歳から30歳ですから、いま考えると本当に若僧の歳ですけど、そのときは自分のファンクショナルな部分が衰える一方だなっていう印象を持ったんですよ。それで、食品加工メーカーにいて、何ができるのかなって考えたときに、死にかけていた身体を治してもらったのは薬なんですけど、退院してからは薬じゃないんですよね。お医者さんに相談しても、「リハビリに通うか?」とかそういうレベルなんで。要は自分でもっと強くならなきゃいけないんですよね。

 

──社会復帰するには自力で強くならないといけないと。

 

桑原 そうなんですよ。それで自分で調べていく中で、トレーニングという要素もあったんですけど、当時はそんなに浸透していなかったプロテインとか、いわゆる身体を強くするサプリメントに出会って、興味を持ち始めたんですよ。

 

──自分の身体を強くすることを調べていくうちにサプリメントに辿り着いたんですね。

 

桑原 サプリメントも考えてみたら食品だなって。ちょうどその頃、経営企画室という部署に異動になったんですけど、要はここは新規事業を立ち上げる部署で、自分のやりたいことができるんですよ。そこで元々は文系なんで理系の知識はゼロなんだけども、生物学とか化学とか、あるいは機能解剖学とか栄養学を勉強し始めて、3年ぐらいの準備期間を経て、サプリメントの事業を始めたんですね。だから、災い転じてじゃないですけど、自分がそれまで健康であることが当たり前で生きてきたのが、いざ失いかけてみると、最も大事なものなんだなっていうことを強烈に植え付けられて。その価値観と自分の足元の仕事を結びつけたのが、結果的にサプリメントだったということですね。

 

──逆転の発想ですね。

 

桑原 そうです。ただ、いまでこそ、「桑原さん」なんて呼ばれていますけど、当時は無名の一介のサラリーマンですし、ブログもツイッターもない時代ですから。それでも、どうにかして、世に知らしめなきゃいけない。そこで広告塔が必要だなと思ったんですよ。それで、やっぱりプロレスファンだったので、誰にしようかと考えたときに、迷うことなく武藤敬司でしたね。

 

──おお、武藤さん!

 

桑原 当時のIWGPチャンピオンで、なんといっても田延彦戦もあるし、闘魂三銃士だし、グレート・ムタだし。蝶野(正洋)さんとか橋本(真也)さんとか長州力さんとか、凄い人はいっぱいいるんだけども、その中でも頭ひとつ抜きん出てるスター性、オーラがありましたよね。

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