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  • 2017.01.13

GK金沢克彦コラム #134

GK金沢コラム連載第134回!! 「評伝・真壁刀義」

波瀾万丈かつドラマチック! 真壁刀義のプロレス人生20年!!
 
今週は、きたる2・21後楽園ホール大会で“デビュー20周年興行”に臨む真壁刀義について書いてみたい。なぜ、いま真壁なのかというと、先だってサムライTVの人気番組『新日本プロレス大作戦DX』の収録に参加したことがキッカケ。そのタイトルが『ついに真壁刀義デビュー20周年! 今度こそ俺のDVDを出せ!大作戦』ということで、真壁刀義に関して練習生時代からよく知っている私が協力を求められた格好である。

たんなる出演ではなく協力と書いたのは、旧知のプロデューサーさんから、「企画として真壁選手に関するクイズ大会をやりたいので、20周年にちなんで20個ほどクイズの出題を考えていただけないでしょうか?」とリクエストされたから。そこで、だれもが知っているような話から、そうとうマニアックなエピソードまで20個ほど出題を考えた。

これがまたけっこう骨の折れる作業で正直、「ああ、引き受けなきゃよかったなあ」と思ったりもしたのだが、そうやって真壁の20年、いや彼が練習生として入門してきたときから換算すれば21年弱の真壁ストーリーを追ってみると、「これほど波瀾万丈で、ドラマチックな男はなかなかいないかもなあ」とあらためて感じたしだいだ。
ちなみに真壁クイズの回答者は、タッグパートナーの本間朋晃と頭脳明晰な後輩の田口隆祐。MCはユリオカ超特Qさん、解説が私で、もちろん主役の真壁本人も同席している。さらに、どうやら20周年記念DVDの発売も本決まりとなったようで、この収録の模様がDVDにも特典として収められるらしい。

サムライTVでの番組放送は2月中旬と聞いたので、収録では語られることのなかった真壁刀義……いや、真壁伸也の素の部分に関して触れていきたいと思う。ちょっとした、真壁ストーリー、評伝・真壁刀義といった趣きでもある。

真壁が学生プロレス出身者であることはいまとなっては有名な話。ただし、彼が新日本プロレスに入門したのは1996年4月30日だから、それを公にするのははばかれる時代でもあった。それなのに、同年2月に二度目の入門テストを受け合格した真壁は、試験官を務めていた橋本真也の前でやらかしている(笑)。最終選考まで残った数名のテスト生に橋本が過去のスポーツ歴を順番に尋ねていくと、真壁はこう言ったのだ。

「はい、打撃とサブミッションを少々やっていました」
「おっ、どこでやってたんだ?」
「はい、学生プロレスです」

橋本が思わずズルッとこけそうになったのは言うまでもない。ある意味、トンパチというか、堂々とそう言ってしまうところが真壁らしくもある。ただ、もし真壁が大学卒業後ではなく、高卒で入門テストを受けて合格していれば、こう言えたはず。

「はい、高校の柔道部で主将を務めていました。講道館の二段を持っています」

これなら、まぁ納得のいくスポーツ歴となるだろう。そこで「学生プロレス」と答えたのは、真壁が自分のやってきた学プロ活動にそれなりの自負を持っていたからでもある。

当時の話をしてみたい。中学から柔道を始めた真壁は神奈川の県立高校に進学してからも柔道に打ち込んだ。当時の神奈川県は学校の数も多いし、レベル的にも激戦区。そのなかで、県立高校ながらベスト16までいったことがあるというから、レベルは高い。

ところが、柔道歴は高校生で終わった。一浪したのち自主推薦枠という形式を使って帝京大学に合格した真壁は、学生プロレスと出会ったのだ。帝京大学プロレス研究会。興味本位、ほんの遊び心で入部してみたら、意外なことに強者たちがそろっていた。レスリング、空手、柔道、骨法、日本拳法などの経験者で、高校時代にはかなりのレベルまでいった先輩たち。

練習もウェートトレーニングだけではなく、薄い体操マットを2〜3枚重ねた上で受け身をとったり、タックルから入って関節の極め合い、絞め合いなどをマジメにやっていたという。大学3年のとき、真壁は二冠チャンピオンになった。第7代TWA王者にして第3代SWS王者。TWAとは、テイキョウ・レスリング・フェデレーションの略で、SWSとは、もちろんメガネスーパーではなく(笑)、三多摩地区にある帝京大、中央大、明星大の3大学からなる三多摩レスリング・セッションのこと。当時、学プロの横つながりでは有名人だった真壁のリングネームは、ご存知のとおり“プリン真壁”である。当コラムにおいて学プロの話をなにをそこまで真面目に説いているのかと思われるかもしれないが、当時の真壁の写真を本人から見せてもらったところ、大胸筋がパンパンに張った、けっこういい身体をしているのだ。

また、学園祭で試合を披露するときなどは、UWFインターの本物のリングを使用していた。これは真壁がアルバイトとして、Uインターのリング設営係や会場での売り子などをやっていたことから関係者と顔見知りとなり、借りることができたという。リング設営をしていれば、否応なく選手たちを間近で見ることになる。そのとき目前で見た若手選手が、坊主頭の桜庭和志や高山善廣だった。テレビで観る彼らとは違っていた。まだ若手なのに、鍛え抜いた凄まじい身体をしていることに真壁は衝撃を受けた。

そして大学3年の後半になって針路を決めた。警察官を目指そうということで就職活動を始めつつも、やはり子どものころから大好きだった新日本プロレスに入りたいという思いがそれを上まわった。そこから毎日スクワットを始め、最終的に1日=1300回をこなせるようになった。そのメニューを1年つづけ、4年生の12月に初めて新日本の入門テストを受けたが不合格。スパーリングでは浜口ジムの練習生に勝ったが、認めてもらえなかった。

「やっぱり就職しようか? いや、もう1年かけて練習して来年またダメだったら諦めよう」

そんなふうに悶々としているところへ、再試験の通知がきた。それが96年2月のこと。前年12月のテストに合格した2名がそろって辞めてしまったという。再試験では晴れて合格。正式に入門したのは、大学卒業後の1996年4月30日。前日には新日本の4・29東京ドーム大会にファンとして最後の観戦に訪れた。メインイベントでは、橋本真也が垂直落下式DDTからの三角絞めで高田延彦を破り至宝IWGPヘビー級王座を奪還。

「よし、俺は明日からここの練習生になってプロレスラーを目指すんだ!」

真壁は気合満々だった。ところが、翌日から地獄の日々が待っていた。厳しいのは覚悟していたが、理不尽なシゴキだけは納得できない。そこでもともと口達者なものだから、ひとこと言ってしまう。こいつは生意気だと、さらに過酷な練習メニューを課せられる。

真壁が入門した1カ月後に、闘魂クラブを経てプロ入りを表明した藤田和之が入ってきた。もう、モノが違う。レスリングで全日本大学選手権4連覇、全日本選手権も2度制覇したレスリングエリート。結果的に、同期の2人にこれだけの落差があったのが却ってよかったのかもしれない。

毎日の練習で生きるか死ぬかの思いを味わっていた真壁に対し、入門1カ月にして受け身をマスターしてしまった藤田。そればかりか、アントニオ猪木の付人に指名された藤田は、猪木が海外に出向くときはつねに同行していた。その間、真壁はひとりですべての雑をこなさなければいけなかった。

たった一点だけ運がよかったのは、新弟子不足のためデビュー前から巡業についていけたこと。無論、ここでも雑用をひとりでこなした。そこへときどき藤田が合流してくる。

「1ヵ月だろうと、テメーのほうが後輩だろ!」

勝手な敵対意識をもっていた真壁は、ほとんど藤田と口をきこうとしなかった。そんな状況で、藤田のデビュー戦が決まった。96年11月1日、広島サンプラザ大会での永田裕志戦。その直前ごろに、巡業先のコインランドリーでたまたま2人は一緒になった。

「真壁さん、今日これから暇ですか? もし暇だったらメシ食いに行きませんか?」
 
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