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  • 2016.12.08

GK金沢克彦コラム #129

GK金沢コラム連載第129回!! 「未来しか見ていないから──」

鈴木みのるvsGK抗争の結末は!?
そして鈴木軍、ノアマット最後の闘いをリポート!!
さて、業界の一部のみで話題になっていたビッグファイトの当『GK金沢克彦コラム』と鈴木軍のボス・鈴木みのるのツイッターによる抗争!? 当然のように、みのるにはみのるの言い分があるし、私には私の言い分がある。

言い分、言いたいこと……いろいろあるなら当事者同士で話せばいいではないか? そういう考えかたもあるのだろうが、公に出たものに対しては公に返すのがプロの仕事ということになる。

みのるがツイッターを使って私のコラムの内容に言及したのも、単純に「書いてることが気に入らねえ!」とムカついただけなのかと言えばそうでもないだろう。私に批判の矛先を向ければ、それがどうファンに影響を与えるかも予測していたろうし、また批判された私がどう返してくるかも、彼はある程度頭のなかで想定していたろうと思う。

いきなりツイッターで名前を出された私にしてみれば、いわゆる青天の霹靂という感じもあったのだが、みのるがツイートしたという事実を正面から受け止め、その内容を読めばまた考える。自分に落ち度はなかったのか? みのるはなぜ噛みついてきたのか? そこを自分なりに咀嚼したうえで、私なりの見解、反論を書くのは当然の作業でもある。

同時に、それで終わりではなく、自分の果たせる責任というか、果たすべきものまで見えてくる。書いて終わりではなく、「では、リングをみとどけてやろう!」という責任の部分である。

ただし、それぞれそれなりの立場にもいるわけだから、本人たちが思っている以上に周囲はやはり放っておかない。実際、表に出ているものは見解のぶつかり合いである。そこで私からすると、まわりから無責任に煽られることが一番気分が悪かった。みのるがツイ―トすれば、それを見ている一部みのるファンたちは、「GKはとんでもないやつだ!」となって、私のコラムを読んでもいないくせに私に向け罵詈雑言を浴びせてくる。そこは、かつての「2ちゃんねる」の世界となにも変わっていない気がした。

もともと、私はこういった現象(傾向)とか書き込みに関わるのが嫌だから、ツイッターやフェイスブックなどにはいっさい手を出さないのだ。不用意にツイ―トした内容が問題視され、いわゆる炎上する。そこで、こそこそとツイ―トをもみ消してみたり、言い訳してお詫びしてみたりと、それは男のやることではない。古臭い昭和野郎と思われるかもしれないが、「男らしくない!」というのは一番格好の悪いことだと思ってしまうのだ。
また、からんでくる一部ファンの人たちと、「うっせー、バカ野郎!」だの「だったら、見なきゃいいだろ!」だのと子どもの喧嘩をツイッター上で展開するのも、まっぴら御免である。実際に、そういうやり取りも多いらしいのだが、私の性格上そういう事態になりかねないことも自分でよくわかっているからこそ(笑)、やっぱりツイッターとは距離をとってしまう。

あと、もうひとつ腹立たしいのは、ファンが好き勝手に言うのは仕方がないにしても、他の選手が口を挟んできた場合。今回そういう輩が実際にいたのだから驚いたというか、じつにくだらなくて呆れかえった。

「鈴木みのるとGK金沢の喧嘩に口を出すな!」ということだ。みのると私の喧嘩に口を出せる選手、関係者などいるわけがないし、いるほうがおかしい。

鈴木みのるがプロレス界に入ってきたのは、1987年4月のこと。私がこの業界でキャリアをスタートさせたのは1986年5月。つまり、私は飛びきり生意気で飛びきり生きのいい新人、鈴木実(当時)を、彼が新日本プロレスに入門したころからよく知っているのだ。

当時、たまたま私が新日本プロレス道場にほど近い世田谷区上野毛3丁目に住んでいたことから、プライベートでもレンタルビデオ店や弁当屋などで鈴木と何度も出くわしたりして、自然と親しくなっていった。当然、デビュー戦もリングサイドで取材している。

そう、気がつくと彼と出会ってからもうすぐ30年になろうというのだ。レスラーと記者という関係ではあっても、その関係に簡単に口を挟める者などいていいわけがないだろう。

あ、また話が逸れてきた。で、事の顛末はどうなったのか? 自分が果たすべき責任として、12月2日=後楽園ホール、3日=ディファ有明のノアvs鈴木軍・最終決着戦を私は会場で取材した。そして翌4日夕方、ディファ有明の会場で関係者しか入れない2階バルコニーからスマホで撮影した鈴木vs杉浦戦のワンシーンを鈴木にメールで送った。べつに、なんの言葉も添えていない。

「俺はしっかり取材しているぜ!」という無言のメッセージのつもりだった。即、みのるから返信がきた。私の意図はすぐに伝わったようだった。その後、3回ほどメールで言葉のやりとりをした。それで終わり。解決。あと腐れなし。みのるもそうだろうし、私もそう。お互い、その場に止まっているわけにはいかない。もう、先に進んでいるから、1週間~2週間前の喧嘩などどうでもいいことなのだ。

これが適切な表現かどうかはわからないが、まあ幼馴染みが1年に1回、意見がぶつかって喧嘩するような感覚である。本来このまま放っておいてもよかった話なのかもしれないが、当コラムが発端となった事なので、この場で読者の方々に一応報告をしておきたいと思った。みのるvsGK抗争は、わずか10日ほどで終止符と相成った。みのるも私も先のこと、そう未来しか見ていないのだから。以上!

いやいや、以上ではないな。そこがまた本題なのである。約2年におよぶノアでの方舟侵略活動に終止符を打った鈴木軍と鈴木みのるの生きざまこそ、今週のテーマである。

12月4日から、新生ノアがスタートして、鈴木みのるも自身がオーナーを務めるグッズショップ原宿『パイルドライバー』で自ら店頭に立っていたという。前日までのノア勢との激闘2連戦の余韻もどこへやら? というか、それはそれでこれはこれ! もちろん、ダメージがゼロなわけはないだろう。プロレスラーにして実業家でもある鈴木みのるはじつに逞しいのだ。
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