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  • 2016.09.30

GK金沢克彦コラム #119

GK金沢コラム連載第119回!! 「直感で生きてきた男・藤田和之」

バルト戦後、突然の引退表明

男泣きした藤田の本音

 25日、さいたまスーパーアリーナへ取材に出向いた。ひさしぶりに藤田和之の試合を生で観る。試合後のインタビュースペースにも顔を出すだろうから、直接その顔を見る、チャンスがあれば会話をする。目的はそれだけ。

 

 藤田が出場しなければ、当日、フジテレビがプライムタイムで3時間の特番を組んでいるから、会場に直接行く必要もないと思っていた。結果的に、藤田の口からとんでもないサプライズ発言が飛び出してきたのだから、テレビ観戦でお茶を濁すことなく、きちんと現場まで行っておいてよかったな、とは思っている。

 かと言って、べつに藤田の引退表明を予感していたわけではない。総合格闘技RIZINのリングで開催された『RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016無差別級トーナメント開幕戦』の1回戦で組まれた大相撲・元大関のバルト戦。

 昨年秋あたりから、RIZINのリングを標的に定めていた節のある藤田。それ以前から全日本プロレスの諏訪魔との対戦がクローズアップされ、実際に天龍源一郎引退興行(昨年の1115両国大会)でタッグマッチながら諏訪魔とのマッチアップが実現した。

 

 しかし、周知のとおり、このとき超満員の観客から絶対的な支持を得たのは、藤田のパートーナーを務めた関本大介と諏訪魔のパートナー岡林裕二だった。彼らは大日本プロレスの二枚看板である。試合後、藤田がマイクパフォーマンスをみせると、館内は大ブーイングとダイニッポンコールに包まれた。

 

 まあ、当たり前の結果だったろう。勝負というより探り合い、もっと言うなら型だけで終わったような藤田vs諏訪魔の攻防をいまの観客が評価するわけもない。藤田は現代プロレスの難しさを肌で感じ取ったし、それがわかっているからこそ、RIZINのリングで諏訪魔とのプロレスラー同士による総合マッチをアピールした。

 

 プロレスラー同士の総合マッチといえば、かつてPRIDEのメインのリングで実現した藤田vs高山善廣戦がイの一番に思いだされる。プロレスラー同士だからと言って、格闘技ファンにとやかく言われたくない。反対に、プロレスラー同士にしか見せられないタフマッチを見せてやる。

 

 そんな両者の意地と思惑が一致して、藤田vs高山戦は両者がノーガードでぶん殴り合う、稀に見る名勝負となった。つまり、総合の技術云々よりも魂の闘いだった。それがストレートにファンにも伝わったのである。

 

 藤田はそういう試合を諏訪魔とやってみたいと思った。ただし、諏訪魔にはそういう気持ちは毛頭なかった。なぜ、プロレスラー同士の闘いを総合のリングで、総合ルールでやらなければいけないのか? 諏訪魔がそう思って拒絶反応を示したのは当然のことでもあった。

 

 いろいろな思いを抱きつつ、天龍引退興行で諏訪魔と対戦した藤田。正直、醒めてしまった。大日本の関本、岡林が披露したド迫力のプロレス、プラス上手さに感心したし、とうていそこに自分がついていけないことも思い知った。ノープランでリングに上がり、相手を叩きのめすIGFのリング、IGFのプロレスとはまったく次元が違っていた。

 

 だから、いまさら諏訪魔とプロレスのリングで闘っても、両国の二の舞だろう。そう思うと醒めてしまったのだ。あのとき、マイクを通して言った、「諏訪魔、大晦日が楽しみだな!」の意味は、どうせ諏訪魔は大晦日のRIZINに上がる気はないのだろうから、自分はそこで納得のいく相手と闘って完全燃焼したい。そんな意味を込めていたのである。

 

 ところが、藤田の大晦日RIZIN出陣は消えた。そのときバルト戦が浮上していたのは事実のようだが、最終的にバルトの対戦相手はジェロム・レ・バンナに決定。そのバンナが試合をドタキャンしたことから、日本に滞在していたピーター・アーツがピンチヒッターで急遽、バルトのデビュー戦の相手を務めた。試合は、コンディション不良のアーツがバルトに完敗を喫する結果となっている。

 

 藤田のRIZIN出場が実現したのは、4・14名古屋大会(RIZIN1)。対戦相手は、RIZIN三銃士としてMMAの新世代を担う逸材であるイリー・プロハースカ。この親子ほども年齢の違う男を相手にして、藤田はキッチリと作り上げてきたコンディションで見事に反応、応戦した。最初に勝機を掴んだのも藤田で、バックをとってテイクダウンさせるとパウンドを連発して、「あわや!」というシーンを作り上げた。

 

 結局、リーチの差が如実に出て、左右のワンツーに沈んだものの、決定的な蹴りは絶対に食わない目のよさ、反応のよさはミルコ・クロコップらと対戦していた当時と変わらない。45歳ながら藤田への期待が膨らんだ。

 

 ただ、おそらく藤田はこの試合を経て覚悟を決めたのではないか? トーナメントに出場するということは、勝てば次がある。負ければ脱落。そういう単純明快な理論であり、それが藤田の答えであったのだ。

 

 今回のバルト戦を突破すれば、大晦日の2回戦へ向かう。負ければ、それまで。そこで終わり。それが自分の最後の試合となる。覚悟は出来上がっていたということになるのだろう。

 

 バルトとの体格差は実際に対峙すると凄まじく際立っていた。相手は元大関だからタックルを仕掛けてのテイクダウンは難しい。むしろ、あの体重で押しつぶされしまう危険性のほうが大きいだろう。バルトをテイクダウンさせるとしたら、バックをとるか、横から崩していくかとなるが、あの巨体で反応がいいからそれも簡単にはいかない。

 

 こうなると藤田の最大の武器はパンチ。藤田のパンチ力なら1発いいのが入れば倒せる。しかし、バルトも長いリーチから手数を出してくる。この距離、あの高さではなかなか届かない。あのヒョードルをダウン寸前に追い込んだ、もっとも得意とする右フックを決めるには思いきって一歩踏みこまなければいけない。ヒットしたのは1発だった。ただし、バルトが反応したために、右フックは左顔面ではなく、右の目じりあたりをえぐる格好になった。バルトが右目じりから出血したのはそのフックのせいである。

 

 結局、ともに決定打こそなかったものの、バルトの巨体に終始ロープ際まで押され気味だったことから藤田は0-3の判定負け。スッキリしないが、仕方のない判定となるのだろう。正直に言うなら、私は延長戦になると思いこんで見ていたのだが、それも後の祭り。

 

 負ければ次はない。だから、あれからそんなに日にちが経っていなくても、いまから振り返ってみると、あの引退表明(ひと区切り発言)はなにも不思議ではないのだ。むしろ驚いたのは、あの藤田和之が目頭を押さえしばし沈黙し、男泣きしたこと。あの涙の理由はなんであったのか? それを知るためにも、あのときの状況、質疑応答をもう一度正しく記しておく必要があるのだ。

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