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  • 2016.07.15

GK金沢克彦コラム #108

GK金沢コラム連載第108回!! 「リーダーになるべき男」

かつて自身が経験した対抗戦への心構えを若手に説く秋山準!

 今月のアタマ、ワタクシ金沢としては珍しい人物を取材させてもらった。全日本プロレス(オールジャパン・プロレスリング株式会社)代表取締役社長の秋山準である。今月末に発売される一般誌からのオファーを受けて、私がインタビュアーを務めることになったのだ。1時間以上も時間をとってもらい秋山にきちんとインタビューするのは、13年ぶりになるだろうか? おそらく、2003年の『G1 CLIMAX』出場が決まった直後に、ディファ有明のノア事務所で取材して以来だと思う。

 

 そのとき、秋山は同じブロックに入った天山広吉のことを猛烈に意識していた。盟友であり終生のライバルでもある永田裕志は別ブロックに入っていたため、やはり同年代で初遭遇となる天山との対決をイチバン楽しみにしていたのだ。あのときも、名言が出た。

 

「天山は小橋さんと似ている。まわりをパッと照らす太陽なんです。それに比べて俺は月。青白い光で冷たくまわりを光らせていく」

 

 結局、この言葉通りの展開となった。いきなり公式戦の初戦で対戦したときは秋山がフロントネックロックで勝利。両国の優勝決定戦でふたたび相まみえたときは、天山が執念のアナコンダバイスで秋山を破り初Vを達成。

 

 秋山の言う通り、両国国技館に太陽が昇り観客は大爆発。万歳三唱で天山の快挙を称えている。

 

 また、むかし話が長くなってしまったが、秋山が新弟子時代に育った横浜市青葉区の合宿所兼道場が取材場所。しかも、いま事務所代わりに使用していて取材を行なった部屋は、秋山が入門したときに住んでいた部屋だという。すべてにおいて歴史を感じる。

 

 まず、初対面となるS社の担当編集者、カメラマンと秋山社長が名刺交換。私はふだん、選手とは名刺交換をしないのだが、秋山社長の名刺に興味があったので、私も交換させてもらった。

 

 おおっ! 「代表取締役社長 秋山潤」と本名ではないかい! しかも、ちゃんと携帯電話の番号まで記載されている。ここで私はちょっと気になった。というのも、私の携帯にもたしか秋山の電話番号が登録されていたはず。その場でスマホをいじって、ちょこちょこっと確認。おおっ! 同じ番号だ。

 

 ここでなにを言いたいのかと言うと、私が秋山の携帯番号を知ったのはもう15年も前のこと。そのときから秋山は番号を変えていなかったということになる。

 

 では、そもそもなぜ秋山の携帯番号を知っていたかと言うと、ここにもちょっとしたドラマがあった。2001年3月2日、両国国技館。言うまでもなく、橋本真也率いる新団体『ZERO-ONE』の旗揚げ戦という大舞台である。メインカードは、橋本真也&永田裕志vs三沢光晴&秋山準。場所はZERO-ONEのリングといえど、禁断の新日本プロレスvsプロレスリング・ノアが真正面から激突するわけだ。

 

 主役は、闘魂三銃士の橋本と四天王の三沢でありながら、試合を食ったのは明らかに永田と秋山の第3世代だった。永田と秋山。両者にとって忘れられないターニングポイントであり、出世試合といっていい。そして、2人の間に特別な感情が生まれた。

 

 先に動いたのは永田だった。それから1カ月ほどして永田から私に連絡があった。秋山と個人的に話してみたいという。学生レスリング時代、面識はあったものの会話を交わしたことがなかった2人。しかし、あの3・2両国で肌を合わせてみて互いの気持ちは確認できた。だからこそ、永田はその先を求めたのだ。

 

「お願いがあります。秋山の携帯番号を知りたいんです。俺の番号を教えたうえで、彼の番号を教えてもらえないかと」

 

 私は秋山の連絡先を知らなかったから、当時ノア担当だったK記者に永田の意向を伝えてもらった。秋山からの返答は早かった。

 

「どうぞボクの番号を教えてください。あと、永田さんにはいつでも電話してきてください、とお伝えください」

 

 それを私がふたたび永田に伝えた。そういう経緯があって、秋山の携帯番号を私も知ることになったのだ。

 

 その後、あっという間に2人は動き始めた。10月、新日本の東京ドームに秋山が永田とのドリームタッグで参戦。メインで、武藤敬司&馳浩組と激突した。翌2002年の1・4東京ドームではなんとメインにGHCヘビー級選手権が組まれた。王者・秋山vs挑戦者・永田。その4日前、永田は大晦日の総合格闘技のリングに出陣し、あのミルコ・クロコップに敗れている。

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