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  • 2016.05.20

GK金沢克彦コラム #100

GK金沢コラム連載第100回!! 「プロレスに救われた」

永田のNEVER王座奪取に至るまでの苦悩と葛藤の日々……

 5・3『レスリングどんたく』(福岡国際センター)で行なわれたNEVER無差別級選手権で王者・柴田勝頼を破り、8年7カ月ぶりに新日本プロレス管理のシングルベルトを腰に巻いた永田裕志。その腰に巻いたというところもひとつの大切なポイントであって、永田自身の「ベルトは腰に巻くもの」というポリシーの顕れでもあった。

 

 永田裕志というレスラーに対して、ファンはどんなイメージを持っているだろうか?   

 

 不遇の世代といわれた第3世代(天山、小島、中西、永田)のなかでオピニオンリーダー的な役割を担っている人物。48歳なのにムチクチャ元気で強くてコンディションのいい選手。最近直用しているTシャツは、めくるとそこに白目をした自分の顔が描かれているという面白おじさん。

 

 どれも正解だし、そのとおりだろう。私の知る永田もそれに近いし、そこにプラスアルファするなら、若手時代から負けん気が強くて、ちょっとやそっとのことでは動じない男というのが付いてくる。それがプロレスラーの永田裕志。
 

 一方で、プライベートの永田はどうかと言えば、基本的に明るいし、常識人で心優しい男。ときに、「どこまでお人好しなんだろう?」と思ってしまうこともある。

 

 そんな永田が今回のNEVER王座奪取で、いま燃え上がっている。ベルトを巻いたこともそうだが、それ以上に柴田という世代を超えた好敵手を得たこと。その柴田を相手に自分が理想とする新日本スタイル、ストロングスタイルの闘いを体現できたこと。その闘いがファンにしっかり届いたこと。そういった要素から充実感が漲っているのだ。

 

 柴田とは自分から望むカタチで、きたる6・19大阪城ホールでのリターンマッチが決定した。「今年上半期の大一番、大阪城ホールでも新日本の闘いをファンに見せてやる」と意気込んでいる。新日本のメインシーンにカムバックしてきた永田は、いまひさびさに燃えたぎっているのだ。

 ただし、ここに至るまでの約1年半、永田は自身の24年弱のレスラー人生のなかでも、もっとも厳しい時期を過ごしてきた。おそらく、頭の中には引退の二文字もちらついていたことだろう。そんな永田の苦悩、葛藤の期間を今回は振り返ってみたい。

 

 永田のなかで、最大の屈辱を味わったのは昨年(2015年)の1・4東京ドーム大会。本戦にマッチメイクされることなく、第0試合のロイヤルランブル(時間差バトルロイヤル)に出場が決まったときだった。

 

「あれは本当にショックでした。自分がどんなに厳しい状況であっても前向きでいられたのは、プロレスができたからなんですよね。その闘う舞台がなくなったわけだから。とくに、東京ドームという舞台で試合をやれたことにどれだけ救われてきたかと。たとえ、年末の総合(格闘技)の試合で結果が出なくてブーイングを浴びようが、1・4ドームという舞台が待っていたから前を向けたわけです」

 

 たしかに、そのとおりだ。たとえば、2001年の大晦日、『INOKI BOM-BA-YE 2001』でミルコ・クロコップと対戦し、ミルコ必殺の左ハイキックを食らって21秒で敗れたとき。その4日後、永田は東京ドームでメインのリングに立っていた。

 

 新日本マットのメインで初めて実現する他団体の王座戦。当時、ノアのGHC王者だった秋山準とバチバチにやり合った。泣き言は言っていられなかった。

 

 戦前、団体の枠を超えたライバルである秋山が、「自分のなかで永田裕志に対する気持ちは何も変わらない。むしろ、あの格闘技の舞台によく上がっていったと思うし、自分にはとうていできないことです」とエールを送ってくれたこともある。初の総合の舞台でなにもやれずに敗れてしまった。その悔しさを本業に思いきりぶつけていった。

 

 結果は、秋山の王座防衛。敗れた永田はプッツリと緊張の糸が切れたのかリング上で涙を流した。敗れてドームの花道を引き揚げる永田に、プロレスファンは拍手と声援を送った。

 

「永田、よくやった!」

「永田、がんばれよ!」

 

 その声に、また泣けてきた。永田をガードするように横にピッタリと寄り添っていた獣神サンダ・ライガが、「泣くな! 胸張ってろ!」と声を掛けつづける。こんなシーンを間近に見せられたら、こっちだって泣けてくる。あのとき、私の涙腺だって決壊寸前だった。

 

 プロレスが救ってくれた。プロレスファンが救ってくれたのだ。

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