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  • 2016.04.01

GK金沢克彦コラム #93

GK金沢コラム連載第93回!! 「内藤哲也に吹く風」

4・10新日本両国決戦まであと10日! 
内藤はIWGP3強時代に楔を打ち込めるのか?

 

 新日本プロレスの大一番となる4・10両国国技館大会『INVASION ATTACK』までカウントダウン、あと10日後に迫った。最注目は言うまでもなく、メインイベントのIWGPヘビー級選手権、オカダ・カズチカvs内藤哲也戦。率直なところ、先の『NEW JAPAN CUP 2016』(以下、NJC)から始まって、現在の前哨戦シリーズと、内藤を後押しする風が吹きまくっている。

“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”ムーブメントも感じるし、5年間の長きにわたったIWGP33強王者時代(オカダ、棚橋弘至、AJスタイルズ)にそろそろ楔を打ち込んでほしいという、ファンの願いが最高のタイミングでかぶってきたようにも思える。

 とにかく、今回の内藤のIWGPヘビー4度目の挑戦のドラマは先のNJC開幕前から始まっていたわけだが、おそらく最初に内藤のクレーム(提案?)をコメントとして掲載したのは私の原稿だったように思う。媒体は『新日本プロレスOFFICIAL WEBSITE』。

 

「このNJCの価値はどこにあるのか? 春の最強決定戦がたんに次期ベルト挑戦者決定戦になってしまっている。G1優勝者には1・4東京ドームでIWGPヘビー挑戦という権利が与えられるのに、NJC優勝者にはそういう付加価値がないでしょう? 俺はもし優勝しても両国ではやらないですよ。もっと大きい、ドームの次に大きい(6・19)大阪城ホールがあるじゃないですか。俺はそこでやりますからね」

 

 たしか、こういう感じの主張だった。いま思えば、じつはNJC概要発表の時点で、「優勝者は4・10両国大会で3大ベルト(IWGPヘビー、インターコンチネンタル、NEVER無差別級)のどれかに挑戦する権利が与えられる」という注釈が付いていた。だから、実際不可能な提案・主張であったわけだが、なぜそのまま掲載したかと言えば、内藤本人も取材した私も、「4・10両国で挑戦」という規定事項を見逃していたから。そこが正直なところ(笑)。だけど、ヒョウタンから駒ではないが、NJC優勝者の権利と権威を問題提起のようなカタチで出せたわけだから、それはそれで結果オーライだと思っている。

 

 ただし、内藤が「大阪」という地名を出した理由はほかにもある。たんに大阪城ホールがキャパシティで両国を上まわっているからだけではない。あらためて説明するまでもなく、大阪は内藤への大ブーイング発祥の地といってもいい土地。かつて、大阪でブーイングを浴びまくっていた内藤は、リングに上がることまで気が退けるほどに悩んでいた。

 

 それが、いまでは「俺のホームリング」と言えるほどまでに開き直り、声援がブーイングを上まわるまでに変化してきた。内藤にとって大阪は特別な場所。だからこそ、大阪城ホールという名称にまでつながっていったのだ。

 

「じつはボクが大阪でブーイングを受ける原因となったのは、内藤自身のマイクアピールのせいじゃないの?って言われたことがあるんですよ。それは自分でもよく憶えていてね。2012年のドームにオカダが帰ってきて、2月に棚橋さんからベルトを奪ったレインメーカーショックがありましたよね。その日、ボクは中邑さんに勝って、オカダへの挑戦をぶち上げた。マイクを持ってなんて言ったかというと、『俺はIWGPチャンピオンとして大阪に帰ってきます。もし、不甲斐ない姿で戻ってきたら、どうぞブーイングをしてくだい!』って。で、3月の後楽園ホールでオカダに挑戦したけど勝てなかった。べつに、そうじゃないのかしれない。ボクだけが憶えていることなのかもしれない。でも、自分にとってはそのときの思いというのは強烈に残っているんですよね」

 

 内藤の大阪ブーイング伝説(?)に歴史ありだ。内藤と話していると、思わぬエピソードを初めて知り、こちらが忘れてしまっている記憶まで呼び覚まされる。また、この記憶力のよさは、彼がプロレスファン感覚をいまでも忘れないが故でもある。

 

 そういえば、ちょうどその当時、内藤は中邑真輔と抗争を展開していた。あの真輔が本気でブチ切れたこともあるほど、内藤は執拗に真輔に迫ったものだ。

 

「直接ではないけど、雑誌のインタビューとかで中邑さんから『内藤はプロレスが好きすぎる』、『プロレスファンすぎる』と言われたことがあるんですよね」

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