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  • 2016.02.20

GK金沢克彦コラム #87

GK金沢コラム連載第87回!! 「柴田vs第3世代」

2・11大阪大会で生まれた
新日本ベルト戦線の新たな火種!

 中邑真輔とAJスタイルズが去った新日本プロレスにとって1発目のビッグイベントとなった2・11大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)大会は、超満員の観客で埋まり大盛況で幕を閉じた。そのなかで生まれた火種……今後の新日本ベルト戦線に一石を投じることになるかもしれない火種はNEVER無差別級王座と第3世代から飛び出してきた。

 

 まず、第3試合のテンコジvs永田&中西のタッグ対決だが、4人が4人とも凄まじく気合が入っていた。1993年2月、ヤングライオンとして初めて同カードで対戦してから23年の歳月が流れている。IWGPタッグ王座をめぐって熾烈な闘いを展開していたのは、1999年から3年弱のこと。

 当時の全盛期が一瞬フラッシュバックするようなシーンも何度か見られた。無論、この試合から会場に火が点いた。試合後、永田裕志がマイクを持った。第3試合後のマイクアピールというのは、ビッグマッチでは極めて稀だろう。

 

「おまえらとずっと闘ってきて、いま改めてわかったよ。俺たちの力はまだまだ衰えてない! まだまだ、このリングを熱くできる!! 俺はもう一度このリングで、俺たちの力をおまえたち(ファン)に見せてやる」

 ここで終われば、一過性の打ち上げ花火だったのかもしれない。ところが、そこにシッカリと食いついてきた男がいる。第7試合のNEVER無差別級選手権、初防衛戦で前王者・石井智宏を返り討ちにした柴田勝頼だ。

 

 石井との魂を削る闘いを制した柴田はコーナーに上がってアピール。その後、ベルトを掲げて見せた。渾身の勝利だったろうが、今回もベルトは巻かない。

 

「ベルトは巻かない。なぜ? 直感」と、どこかの取材に答えたらしい。これまでも直感で選択し生きてきた。柴田らしいこと、このうえない。だけど、正しい。そうやって生きてきて、いまの柴田がそこにいるのだから正しいのだ。そして、公の共同インタビューで出てきたコメントは次のとおり。

 

「ひとつね、気になったことが今日の大会で、何気なくモニター見てたんだけど、『なんかいつまで経ってもケツの青い先輩たちが、なんか言ってんなあ』と。『いつまでもケツの青いオッサンたちが、なんか言ってた』と。言うのは簡単なんだよ。言わないで現実に実行してきた。俺はそのプロレスやっているという自負がある。やるかやらないかは本人しだい。そういう(ベルトの)使い方もあるのかなと思っております」

 

 キタなーという感じ。柴田独特の言いまわし。「ケツの青い」に関しては3つの捉え方ができる。

 

「口ばっかりで進歩のない人たちだなあ」

40代半ばから後半なのに、まだまだ若いし元気じゃねえか」

「青パンツの永田裕志、あんたのことだよ」

 

 まあ、いずれにしろ、「やるならやってやろうじゃないか!」であることは確かである。

 

 対第33世代。じつは、柴田にとって残された宿題のひとつと言っていいのかもしれない。かつて“新闘魂三銃士”と称された棚橋弘至、中邑、柴田のなかで、柴田は2005年1月末に新日本を退団した。

 

 新日本マットで第3世代と、とことん真っ向勝負まではいっていない。というより、当時の草間政一社長による「今年は永田選手や第3世代には踏み台になってもらって、新闘魂三銃士にトップでやってもらいたい」なる言葉に怒り心頭に発した男が柴田。退団には様々な理由があるのだろうが、その一言が引き金をひいた格好でもある。それに、その言葉を柴田が公に発しなければ、永田もだれも知らないままで草間発言は表に出ることなく時代の片隅で燻りながら、忘れ去られてしまったことだろう。

 

 あ、そこでもうひとつの見解が出てくる。

 

「第3世代は踏み台にもなっていないだろ!」

 

 そういう柴田の本音の部分である。かといって、この踏み台云々は突き詰めていくと難しい話。中西学はリング復帰したことが奇跡と言われる状態のなかで、トレーニングをこなし頑強な身体で試合に出ている。天山も肉体はボロボロで好不調の波が激しいなか、ここ一番では無類の勝負強さを発揮する。

 

 その2人に比較すると、永田と小島聡はいつもコンディションをしっかりキープしている。古傷はあっても、トップ戦線で闘うだけのコンディションは充分備えているのだ。

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