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  • 2016.02.04

GK金沢克彦コラム #85

GK金沢コラム連載第85回!! 「さよならだけが人生だ」

中邑の退団によって、火が点いた新日本!

 嵐のように過ぎ去った新日本プロレスの1・30後楽園ホール大会。あれからまだ5日しか経っていないのに、もうかなり以前の出来事のようにも感じてしまう。中邑真輔壮行試合。おそらく突然のことすぎて、本当の実感が沸いてこないからなのかもしれない。

 

 ひとことで称するなら、お祭りだった。祭りのあとには喪失感を伴うものだが、新日本のシリーズはつづき、選手たちは闘っているし、我々マスコミには次の仕事が降りかかってくる。一般ファンの人たちにも、仕事があり学校がありと、個々の日常がつづきながら日は流れていくのだ。

 

 だけど、もう一度あの日を振り返ってみたい。1・30後楽園ホールの入場券は、『中邑退団』の一報が流れると同時に、プレミアムチケットと化した。ヤオフクやチケットキャンプといった各種チケットを扱うネットショップでは、一時、10万円を超える値段がついていた。私の知人のなかでも数名が、1・4東京ドーム大会や『G1 CLIMAX』最終戦のリングサイド席を上まわる価格の×万円でチケットを購入した人たちがいる。

 

 やはり異常なお祭りだった。稀代のスーパースター、カリスマ的な人気を誇る中邑真輔の壮行試合なのだから、当然なのかもしれない。

 

 試合を見とどけて感じたことは、個人ブログにも書いたのだが、このフレーズに尽きる。

 

 

「花に嵐のたとえもあるさ。

さよならだけが人生だ」

 

 

 これは決してターザン山本!氏のセリフではない(笑)。たしか、20年ほど前になるか、当時『週刊プロレス』編集長を務めていた山本氏は好んでこのフレーズを引用していた。

 

 実際この言葉は、かの文豪である井伏鱒二が世に出したもの。厳密にいうなら、中国の漢詩を井伏が自分流に翻訳したもの。もとは唐代の詩人・于武陵(うぶりょう)の「勧酒」である。友との別れに際して、送別の酒を勧めるときの心境を詠んだもの。

 

「さあ、友よ、この杯をあけてくれ。美しい花だって、嵐がくれば吹き飛んでしまうことだってある。人生に別れはつきものなんだ」

 

 そういう意味である。そう、人生に別れはつきものだし、いつままでも悲しみ、嘆いていては前へと進めない。そう考えると、同時に懐かしい流行歌も頭に浮かんでくる。

 

「さよならは別れの言葉じゃなくて、

ふたたび会うための遠い約束」

 

 これもまた相応しい詩のような気がする。こういったセンチメンタルな気分になると同時に、当日、数名の選手の口から出たコメントに、中邑への思いと同時に、プロ意識であるとか、立ち止まらずに進んでいくための覚悟を私は感じとった。試合順にいくなら、まずCHAOSの同門であるYOSHI-HASHIから。周知のとおり、YOSHI-HASHIは中邑にかなり可愛がられていた男である。

「中邑さんとは海外行く前はぜんぜん接点がなくて、メキシコで中邑さんも自分もルードやっていて、それで移動が一緒になって少ししゃべるようになって。最初は他の先輩とは違ってちょっとクセのある人だなって正直思ってた。でも、いろいろしゃべっているうちに、素直で裏表がなくて、思うことは包み隠さず言って、凄く真っすぐな人っていうのが今のイメージです。これで終わりってわけじゃないでしょう? いつか海外から帰ってきたときに、何年後になるかわからないけど、自分ももっともっとがんばるので、いつか中邑さんとインターコンチやることが俺の夢かな。必ず実現するように、明日からからじゃなくて、今からもう着替えるところから気合い入れないとね」

 好漢・YOSHI-HASHIの真っすぐな言葉。お人好しで天然ぶりを発揮しつつも、最近ではサムライTVでの名解説ぶりで評価も高い男である。ちゃんと言葉を持っている後輩からのラブコールと覚悟のセリフは、本当に心地よく響いてきた。

 

 つづいて、永田裕志。中邑のデビュー戦ではセコンドに付き、付き人の中邑を従えてノアのツアーに参加したこともある。その後は世代の壁を超えたライバル関係を築き、数年前、中邑は新日本マットにおける永田、鈴木みのる、そして自身の存在を「絶滅危惧種」と称している。

 

 また、永田自身、「俺が引退するときの相手は中邑真輔。中邑に介錯してもらう」と心中秘かに決めていたという。キャリア24年目の重み。武藤敬司、小島聡、ケンド―・カシン、長州力、佐々木健介、柴田勝頼らの退団を新日本のトップの一角として間近で見てきた男の言葉は重く鋭い。

 

 ひとり違った視点から、広い視野で中邑の旅立ちを捉えていた。

 

「誤解をおそれず言うならば、中邑がこうやって新日本からアメリカの大きな団体に行って成功するということは、もしかしたら我々レスラーにとって大きな夢、大きなものを掴む道筋になったんじゃないかな? レスラーにとってよい時代になった。新日本プロレスは業績も上がったし、会社のシステムもどんどんよくなってる。その土俵で育った選手がアメリカに行ける道筋ができた。これから新日本プロレスに入ってくる選手にとっては、新日本が大きな夢のあるリングになる可能性がある。中邑は“絶滅危惧種”なんて言葉をよく使っていたけど、本当に絶滅しちゃわないように、俺が新しい人材を育てます。それが俺の今後の使命のひとつかな。だからと言って退くわけじゃないですよ。もうアンチエイジングって言葉は使わないから」

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