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  • 2015.10.29

GK金沢克彦コラム #71

GK金沢コラム連載第71回!! 「心のガングリオン」

天龍が改めて語る“ライバル”長州との関係性とは!?

 ここまできたら、今週も天龍源一郎で攻めていく。1115革命最終章、両国のラスト天龍まで、「天龍! テンリュ―!! テンル―!!!」尽くしなのだ。

 

 先週は、1015日に行なった天龍ラストインタビューを踏まえて、次号『ゴング』では詳細に触れることなくカットした部分であるジャンボ鶴田との関わり、因縁について書いてみた。

 

 結論は到底ひとことで片付けられるものではないのだが、天龍革命=レボリションが日の目を見て、天龍自身がワンランクアップすることができたのは、元横綱の輪島大士が世間の注目を大いに集める中、輪島をボコボコの闘いに引き込んだこと、その勢いのままジャンボ鶴田という眠れる獅子をついに目覚めさせたことが大きいと天龍は語っている。

 

 そこで鶴田を評価する部分は、「俺は格が違うんだよ」とばかりふんぞり返ることなく、ジャイアント馬場さんの顔色を窺うばかりでもなく、鶴田が本気で天龍を叩きにきたこと。1985年~1986年の約2年余、馬場・猪木さえも凌駕する人気と勢いを誇示していた長州力に対してさえ、一歩引いて見ている感のあった鶴田が、本気になったのだ。いま思えば、そこは信頼関係の差がネックとなっていたのかもしれない。

 

 レスリングと大相撲。格闘技のベースは違えど、同じファンクス道場出身であり、師匠はジャイアント馬場。プロレスのベースはアメリカンスタイルである。そこに、「受けの全日本プロレス」という共通項がある以上、根っ子は同じ。鶴田は根本で天龍を信用していたから、同じ土俵に上がったという見方もできるだろう。

 

 一方、鶴田と長州は同じレスリング出身者であり、ともに72年のミュンヘン五輪に出場している。学年は鶴田が1学年上にあたる。学生時代、初めて長州がプロレスを生観戦したのも全日本プロレスだったし、イチバン興味深く見ていた存在も鶴田だった。長州が新日本プロレス入りを決めた最大の要因も、「鶴田さんがやってるんだから、俺にもやれるだろう」という漠然としながらも、具体的な指標がそこにあったからだ。

 

 ただし、ベースが同じなのに、鶴田と長州はなにもかも違った。師匠が馬場と猪木。ここでまず180度違う。鶴田は徹底したアメプロのエリートコースを歩んだが、長州はヨーロッパ遠征からフロリダ・タンパのカール・ゴッチ道場へ。当時の新日本・若手レスラーのお決まりコースでもある。ただ、その定番コースに乗らなかったのが長州らしさ。これはもう、プライドと性格からくるものだろう。

 

 長州にしても最初は大人しく(?)、ゴッチ道場に通っていた。ただ、基礎的な体力トレーニングなどは学生時代にさんざん経験したものであるから、とくに必要と感じなかったし、スパーリングの相手として少年時代のマレンコ兄弟(ジョー&ディーン)などが出てきたから、困ってしまったという。

 

 また実際のところ、もっとも辛い時間はトレーニング終了後に、ワインを飲みながらゴッチが延々とレスリングの話をすることだったという。「一刻でも早く、この空間から開放されたい!」。その一心だった。まあ、短気な長州の性格からいって、その様子はじつによくわかる。長州がゴッチ教室で過ごした時間を、「窮屈でなんのメリットもなかった」というのは、練習のことではなく、この単調で退屈極まりない毎日を指していたのである。だから、ゴッチ教室からは2カ月ほどでリタイアした。

 

 その後は、ヒロ・マツダ道場に通い、タイガー服部とも知り合っている。マツダ、エディ・グラハム、デューク・ケオムカのラインでローカルながら試合にも出場している。そして、長州はニューヨークに渡り、米国マットを我がもの顔でのし歩くマサ斎藤に感化されていく。

 

 レスリング出身のエリートでプロレスでも王道のエリートコースを歩んできた鶴田と、同じレスリングエリートでもマサ斎藤のようなオフコース(エリートくずれ)に憧れた長州。のちにマサとのタッグから、いわゆるハイスパートレスリングを時代の先端をいくスタイルとして、プロレス界に認知させてしまった。

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