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  • 2015.09.03

GK金沢克彦コラム #63

GK金沢コラム連載第63回!! 「あと2カ月……」

 

天龍プロジェクト最後の後楽園ホール大会は

超党派のオールスター戦

 1115両国国技館での引退興行まで2カ月余……まだ2カ月あるのではなく、あと2カ月しかない。いよいよもって、天龍源一郎が終焉に向けラストスパートに入ろうとしている。9・2天龍プロジェクト後楽園ホール大会は、天龍にとって現役最後の後楽園ホールでの試合となった。

 

 1986年5月、新大阪新聞社・大阪本社勤務から始まり、同年8月、東京支社配属、正式に『週刊ファイト』の記者となった私にとって、後楽園ホールといえば、新日本プロレスより全日本プロレスというイメージが強い。というのも、『週刊ゴング』に移籍するまでファイト記者として活動した3年半、つまり80年代後半に関していうなら、後楽園ホールのマッチメーク、試合内容は全日本のほうが充実していた。

 

 なにより観客のノリが抜群によかった。当時の新日本の後楽園ホールはつねに殺伐した空気に包まれていた。やはり、アントニオ猪木、長州力、前田日明らがスターだった時代を象徴している。一方、全日本の後楽園ホールは最初から会場のムードが出来上がっていた。現代に例えるなら、新日本の後楽園ホールの雰囲気によく似ている。20年余の歳月を経て、そんな逆転現象が起こっているのだ。

 

 当時、ジャイアント馬場さんがキャッチコピーとして掲げた、「明るく楽しく、そして激しく」を地でいっていたのが全日本。その激しくの部分を担っていたのが、天龍源一郎であったことは言うまでもない。

 

 今大会の締めの挨拶として天龍自身が語ったように、馬場&ジャンボ鶴田組のインタータッグ王座に、天龍がビル・ロビンソンとの急造タッグで挑戦したのも、後楽園ホールだった。1981年7月30日のこと。本来のロビンソンのパートナーだったディック・スレ―タ―が体調不良のため緊急帰国。そのため急遽、天龍が抜擢を受けた格好だった。

 

 これが、いわゆる天龍の出世試合である。それまで、プロレスラーとして伸び悩んでいた天龍が、なにもかもフッきれたかのような大暴れを見せたのだ。馬場、ロビンソンが天龍を絶賛し、ファンからも喝采を浴びた。もちろん、当時の私はまだ素人(?)であり、大学2年生だった。その試合をテレビ中継で見たとき、やはり驚いた。

 

 じつは、大相撲時代から天龍ファンだった。まだ小学校の高学年のころである。新入幕を果たした新進気鋭の天龍は、いわゆるソップ型でスタイルがよく、ルックスもいい。大横綱の大鵬、初代・貴乃花に次ぐ二枚目力士とも呼ばれていたのだ。

 

 ところが、プロレス入りしてからの天龍は不器用さばかりが目立っていた。非情なもので、ファン時代の私は徐々に天龍に興味をなくしていった。そんな時期に、ふたたび天龍に釘付けとなったのが、あのインタータッグ選手権。ガムシャラに、真っすぐに馬場と鶴田に向かっていった姿だった。

 

 私が新人記者として後楽園ホールで実際に見た天龍に関しては、正直いって「これ!」というものが挙がってこない。なぜなら、天龍は全日本が力を注いでいた後楽園ホールだけではなく、地方会場でも、日本武道館でも同じテンションの試合をつねに実践していたから。天龍革命をぶち上げ、天龍同盟を結成してからはその姿勢に拍車がかかった。

 

 そのせいなのか、不思議なシーンというか、見慣れない光景ばかりが印象に残っている。天龍同盟結成当初、阿修羅・原(故人)と、「REVOLUTION」ジャ―ジで入場してきた天龍。『サンダ―ストーム』が流れて、客席がドッと沸くところだが、なぜか聞き慣れない曲が響いてきた。ビートルズの『レボリューション』だった。ホールは「あれっ!?」という空気に包まれた。だれのアイデアだったのかは思いだせないのだが、この試みは一度きりで終わっているはずだ。

 

 また、これはシリーズ最終戦の後楽園ホール大会だったと記憶している。その直前に天王山のビッグマッチがあって、天龍はシングルかタッグで鶴田と激しくやり合っている。その試合で負傷した天龍が、追撃戦のように組まれていた後楽園ホール大会を欠場。報道陣も驚いた。満身創痍でも試合をやってのける天龍が欠場したのだから、よほど状態が悪かったのだろう。

 

 天龍の代役は冬木弘道だった。相手は、鶴田&グレート・カブキ組。この試合中、冬木の蹴りが鶴田の股間に入ってしまった。アクシデントだったが、ふだん冷静な鶴田がブチ切れて冬木をボコボコにしてしまった。あの鶴田がホールに不穏な空気を作り上げたのである。控え室に戻ってからも鶴田の怒りは収まらなかった。

 

「なにが天龍同盟だ! なんで天龍が出てこないんだ! なにが天龍革命だ! 出てきて当然だろ、天龍によく言っておけ!!

 

 こんなジャンボ鶴田は初めて見た。どんな状況でも冷静さを失わない男が、自分のポリシーを曲げてしまうほどに激昂していたのだ。それほど当時の天龍という存在は、鶴田にとって脅威となっていたからかもしれない。

 

 また、むかし話が長くなってしまった(苦笑)。とにかく、あと2カ月余で天龍がプロレス界から去る。その現実がいま胸に突き刺さってきた。私自身がこの業界で仕事を始めてから29年余になるが、天龍はつねにそこにいて当たり前の存在だったし、50歳を超えて現役バリバリ、還暦を迎えてもトップとわたり合えた男。そこに引退というものを意識させられたことがなかった。

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