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  • 2015.08.06

GK金沢克彦コラム #59

GK金沢コラム連載第59回!! 「今年も熱かった『火祭り』」

 2日、後楽園ホールでZERO1の『火祭り2015』(以下、『火祭り』)決勝戦が行なわれた。旧ZERO-ONEが旗揚げした2001年から毎年開催されている『火祭り』は言うまでもなく故・橋本真也が発案者であり名付け親。今年で15回目の開催となり、これがじつに憶えやすい。なぜなら、新日本プロレスの真夏の祭典『G1 CLIMAX』(以下、『G1』)の第1回大会が1991年の開催だから、まる10年違いなのだ。現行の『G1』が第25回だから、『火祭り』は15回目とすぐ数字が浮かんでくる。

 

 このあたりにも、なんとなく運命的なものを感じるのだ。また、第1回から15年連続15回とフル出場しているのが、大谷晋二郎、田中将斗、佐藤耕平の3選手。現在でこそ、『G1』と『火祭り』に関しては、その注目度、参加メンバー、会場規模に大きな差がついてしまっているものの、かつて大谷は『火祭り』のシーズンが近づいてくるたびに自らと他の参加選手たちを鼓舞するかのように、毎年毎年、同じセリフを口にしてきた。

 

「だれがなんと言おうと、ボクは『G1』を意識してます。『G1』に負けてたまるかという気持ちで、この『火祭り』に全力を注ぎ必ず優勝します!」

 

 もはや、これは決まり文句になっていたから、周囲で茶化したりする人間もいなかった。だれがどう見たって、スケールで『G1』には敵わない。唯一、『火祭り』が互角に張り合えるものは、その試合内容……とくに、最終戦のおもしろさ、優勝決定戦のレベルの高さ。試合が呼ぶ感動のドラマも抜きんでている。

 

 いまどき“感動のドラマ”なんて言いまわしは小学生でも使わないのかもしれないが、ZERO1という団体と『火祭り』にはそのフレーズがよく似合う。泥臭いまでの一生懸命さによって、会場はそういう空気に包まれるし、リング上とファンが一体化して、涙に包まれることも多々ある。いまどき珍しい「泣ける団体」こそZERO1という伝統はいまも生きている。創業者の橋本真也が団体を去った直後に亡くなり、その跡を継いで大谷を中心に新生ZERO1-MAXが誕生。それ以降、何度となく倒産のピンチに陥りながら生きながらえ、橋本の忘れ形見である橋本大地が10周年のリングでデビュー。その大地も昨年春にZERO1を退団した。

 

 まあ、次から次へと襲いかかる試練の嵐。そのたびに、「本当に強い男は、何度負けてもそのたびに何度だって立ち上がる」と言い張る大谷。その大谷に向かって、「大谷、おまえがおるから俺はこのZERO1でがんばっておるんや!」と強く訴える世界の田中将斗。

 

 もう「うぇ~ん!」となる。こうやって書いているだけで、泣きそうになってくる。というのも私の場合、2001年3月の旗揚げ戦から現在に至るまで『スカパー!』PPV中継や『サムライTV』中継の解説者として、ずっと彼らと一緒にZERO1の歴史を見てきたからなのだ。

 

 なにか、まるでZERO1の歴史を紐解きながら、いいオヤジがひとり感傷に浸っているかのような、しょうもないコラムとなってきた。いかんいかん、ちゃんとプロらしい文章に戻してみたい。

 

 さて、先述した大谷による「ボクは『G1』を意識している」の決まり文句はある時期を境にプッツリと消えた。2008年~2009年にかけて新日本とZERO1に交流関係が生まれ、頻繁に対抗戦が組まれたからだ。08年の『火祭り』に新日本の一戦級である真壁刀義と中西学が出場。真壁は決勝まで進出し、田中に敗れている。同年、ついに大谷が悲願の『G1』初出場を果たした。

 大谷のこだわりは、新日本在籍時代、『G1』に縁がなかったことも大きい。1990年代半ばから若くして新日本ジュニア戦線のトップに躍り出た大谷は、ジュニア勢の『G1』出場をアピールし続けていた。初めてジュニアに門戸が開かれたのは、2000年の第10回大会。だが、そこに選出されたのは断トツの実績を誇る獣神サンダ―・ライガ―と同年の『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』覇者である高岩竜一だった。失意の大谷はその『G1』を見とどけた直後に、海外遠征に旅だっている。『G1』は憧れの舞台だった。そこに出場できないまま翌年2月、旧ZERO-ONEへ移籍したからこそ、『火祭り』と『G1』をずっと重ね合わせてきた。

 

 外敵として初出場した『G1』の大舞台。結果的に、大谷の大活躍で『G1』のグレードはさらに上がり、当然のことながら大谷の評価もあらためて急上昇した。戦績は、これも外敵の小島聡(当時・全日本プロレス)と並ぶブロック同点2位。最終戦で小島と30分ドローとなり涙を飲んだが、決勝に進出した真壁刀義を公式戦で破っている。なにより結果云々よりも、かつて自分が鍛え上げた真壁と真っ向勝負ができたこと、同世代の中西、小島とリングで再会できたこと、IWGPヘビー戴冠者であり、『G1』覇者でもある後輩の棚橋弘至と腕比べができたことが嬉しかった。『G1』とは、大谷の想像以上に充実した闘いの場だった。

 

 これで、大谷のなかから『G1』へのトラウマが消えた。『G1』は『G1』であり、『火祭り』は『火祭り』である。比べても仕方がないし、どちらも最高に燃え上がることのできる舞台。

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