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  • 2015.04.30

GK金沢克彦コラム #45

GK金沢コラム連載第45回!! 「阿修羅・原」

天龍源一郎のタッグパートナーは、阿修羅・原しかいない!

 今週、訃報が相次いだ。“AWAの帝王”ことバーン・ガ二ア氏(享年89)が、27日に死去。NWA、WWWF(現WWE)と並ぶ全米の3大勢力と言われたAWAのプロモーター兼エースとして長年活躍したガ二ア氏は、米国マットの歴史上5本の指に入る名レスラーだったと思う。ガ二ア氏のサポートがあって、ビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ニック・ボックウィンクルなどが世界的スーパースターに育った点も見逃せない。

 

 さらに翌28日、また悲しいニュースがあっという間に駆け巡った。故郷の長崎県諫早市で病気療養中だった阿修羅・原(本名=原進さん)が、肺炎で亡くなったのだ。68歳だった。ラグビーで高校時代から頭角を顕した原さんは東洋大学、近鉄と進み6年間、日本代表として活躍。1976年には日本人として初めて世界選抜メンバーに選ばれた超アスリートだった。ただし、当時のアマチュア・アスリートの待遇は今とは大違い。日本代表として海外遠征に出ているときは給与が出ないなど、生活苦に嫌気がさした原さんはキッパリとラグビーを辞めた。

 

 そこで同じくラグビー出身のプロレスラーであるグレート草津さん(八幡製鉄)に誘われて国際プロレスに入団。ラグビー好きの作家、野坂昭如さんによって『阿修羅・原』と命名された。

 

 その後の流転のレスラー人生、栄光と挫折、復活劇はプロレスファンなら誰もが知るところだろう。国際が倒産して全日本プロレスに新天地を求めた原さんは頑丈な身体でスタン・ハンセンのラリアットを受けまくった。

 

「スタンはね、俺とやるのが楽しかったみたいだね。俺が逃げないから。スタンのラリアットにも、胸を突き出して踏み込んでいくからね。そうすると衝撃は凄いけど、ダメージはそんなに残らないんだよ。ヘタによけたりすると、あの太い腕が首に入ったりして怪我をするからさ。スタンも気持ちよかったんじゃないかな?」

 

 のちに原さんはそう言っていた。そう、全日本マットでもっともハンセンのラリアットを食らった男が原さん。そこで原さんは自身もラリアットを得意技にしていく。

 

 原さんのラリアットがなぜ“ヒットマン・ラリアット”と称されたのか覚えているだろうか? それは、同じく新日本マットでもっともハンセンのラリアットを食った男である長州力をターゲットとしたから。

 

 一時期、原さんが全日本マットを離れている間に、全日本を席巻していたのが、長州力率いるジャパンプロ軍団。リングに復帰してきた原さんは迷彩色の私服に身を包んで長州を襲撃し、血だるまとした。

 

「おい、長州! なにが維新軍だ!? な~にが維新軍だ!?

 

 もちろん、場内は騒然として大ブーイング状態。この「な~にが維新軍だ!」の言いまわしがじつに憎たらしくて、当時(※大学生時代)、プロレス観戦仲間のあいだで、このフレーズが流行った。ひたすら人気絶頂の長州をツケ狙う。テロリストではなく、ヒットマン。これを名付けた人はいいセンスをしていたと思う。テロ・ラリアットでは語呂が悪すぎるが、ヒットマン・ラリアットならじつにサマになる。

 

 そういえば、この両者はそれから8年後に新日本vsWAR対抗戦で円熟の一騎打ちを行なっている。この試合前にも口火を切ったのは無口なほうの原さん。

 

「おい、長州! 今日はラリアットだけで勝負しようじゃないか!!

 

 そうして、両者はゴングと同時に本当にラリアットだけで勝負した。ひたすらラリアット。リキ・ラリアットvsヒットマン・ラリアット。2人あわせて20発以上のラリアットが放たれたと思う。ところが、さすがは策士の長州。ラリアットと見せかけて、ナックルパンチを顔面に見舞い、これが勝負を分けた。ここらへんにも試合スタイルが似ているようで性格の違いが出ている。馬鹿正直な原さんと、裏切りもまたプロレスと考えている長州。ただ、長州も阿修羅・原というレスラーを大いに認めていたことだけは間違いない。

 

 話が少し逸れてしまった。とにかく、原さんの人生を変えた男は天龍源一郎だった。全日本同士、または全日本隊vs国際血盟軍という立場で何度かシングルで闘ううちに、互いを認め合ったのだ。辛口のジャイアント馬場も、原さんの身体を張った試合を大いに買っていた。

 

 そして、ついにその時が来る。1987年の春、長州力が数名のジャパンプロの選手を引き連れて新日本へと舞い戻った。ライバルを失い鬱積がたまりにたまった天龍がついに爆発した。5月16日の小山大会の試合前だった。天龍を囲んでいたのは『週刊ファイト』の記者だった私と、当時『週刊プロレス』の記者だった安西伸一氏の2人だけ。そこで驚くようなセリフが飛び出してきた。

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