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  • 2015.02.12

GK金沢克彦コラム #34

GK金沢コラム連載第34回!! 「天龍源一郎は天龍源一郎しかいない!」

 
「廃業」を発表した天龍について思うこと

 9日、天龍源一郎(65歳)が1976年のデビューからまる39年となる今年11月に引退試合を行ない、プロレスラーを廃業することになった。まず、「廃業」というセリフひとつをとっても天龍らしさが溢れている。プロレスラーが「引退」してから復帰するケースは枚挙にいとまがないから、「引退」とは言わない。これは大相撲流の言いまわしということになるのだろう。

 

 相撲を「廃業」した力士は、ニ度と大相撲の土俵には上がれないからだ。大相撲時代から数えたら、じつに51年にもおよぶ格闘人生。そこにケジメをつけるために、いかにも天龍らしい表現(=廃業)を使ったなあと感心する。

 周知のとおり、天龍は数々のレスラ―に影響を与えた。日本人では馬場&猪木をピンフォールした唯一の男であり、同年代のライバルには、ジャンボ鶴田、長州力、藤波辰爾がいて、全日本プロレス時代に天龍の下で育った世代は、例外なく天龍の人柄を慕い、試合に向かう姿勢に感化された。

 越中詩郎、三沢光晴、川田利明、冬木弘道、小橋建太、田上明、小川良成、折原昌夫といった面々。また、同志となった阿修羅・原、大先輩でありながら天龍にほれ込んでいたグレート・カブキもいる。WARからはいまを時めく石井智宏が誕生した。

 

 不思議なことに、のちに天龍が新日本マットに進出するようになってから、新日本の看板選手たちも天龍に直接触れて、天龍を特別視するようになっていく。アントニオ猪木から綿々と受け継がれてきた“闘魂”であるとか、“ストロングスタイル”であるとか、「ジャイアント馬場率いる全日本との違い」をさんざん頭に叩き込まれてきたはずなのに、いざ天龍に触れるとカルチャーショックに見舞われた。

 

 橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋の闘魂三銃士がそうだったし、その下の第3世代である天山広吉、小島聡、中西学、永田裕志なども痛烈なまでに天龍による「痛みの伝わるプロレス」の洗礼を浴びている。

 

 さらに、佐々木健介、鈴木みのるの2人は、ルーツもべースもまったく異なっていたにも関わらず、天龍という人物を心の師と仰いでいる。無論、鈴木の場合は特殊なケース。本人が告白しているとおり、藤原組時代にSWSの大将であった天龍に反抗的な態度を何度か見せ、2000年代に入って新日本でともに外敵軍と呼ばれていた時代、『週刊ゴング』の座談会(天龍、鈴木、健介)の席で酔っ払い、天龍をぶん殴ったという前科を持つ(笑)。

 

「おい、そんなに自信があるなら殴ってみろよ! ホラ、ここだ!!

 

 そう言って、自分の頬を指さす天龍に対し、鈴木は本当に殴ったのだ。あとはもうメチャクチャの修羅場(笑)。「いい加減にしなさい! あなたたち、店を壊す気なの!!」。天龍のお店の女将さん(まき代夫人)の一喝でようやく事態が収まり、翌日、あの鈴木が大反省して菓子折りを手に、謝罪に出向いている。それ以降、なぜか2人の仲は急速に縮まったのだ。喧嘩した相手と親友になる――よくある話を天龍と鈴木は地でいく関係なのである。

 

 親分肌の天龍はマスコミにも慕われていたし、私が業界に入ったころ(1986年5月)にはすでに天龍の取り巻きと言っていい各社の担当記者がいた。もちろん、「新日本寄りの猪木新聞」と揶揄されていた『週刊ファイト』の新米記者がその輪に加わることなどできるわけがない。

 

 ただ、あの当時を振り返ってみると、ファン時代に観ていたプロレスの風景と取材記者として観る風景が、まったく違っていることを知った。我々の年代となると、ほとんどがいわゆる“猪木信者”である。私も例外なくそうだったし、猪木に次いで好きだったレスラーが長州力。売れないパンチパーマ時代から判官びいきで長州を応援していたので、維新軍で大ブレークしたときには快哉を叫んだものだ。

 

 そして、実際に記者として接する長州はマスコミ報道通りの気難しい人間だった。ひとことで言うならマスコミ嫌いで、もっと言うならプロレスマスコミという人種を蔑視している感じが伝わってきた。新聞社の人間は担当だからいい、だけど専門誌(紙)の記者はたんにファン上がりのプロレスおたく。明らかに長州はそう見ていたのだ。

 

 だからこそ、反対にそういう長州に積極的に近付いていくことが、むしろ快感となった。怒鳴られたって平気だった。

 

「また長州に怒られちゃったよ!」

 

 むしろ、学生時代の友人たちに自慢していた。たしかに、ファン気質まる出しである。だけど、他の記者と唯一違う点は、一度怒鳴られた人間は長州を苦手として避けるようになるが、私は怒られた翌日でも平気で長州の控室(当時はジャパンプロレス)に入っていって、単独でコメントを求めていたこと。その光景を付人の健介などはヒヤヒヤしながら見守っていたろうし、当の長州は半ば呆れながらも一応答えてくれた。まあ、これがのちのちへと続く長州力と私の不思議な関係のスタート地点である。

 

 一方、長州だけを例外として、プロレスラーは基本的にみんな優しかった。馬場さんだけは少し敷居が高かったのだが、そのぶん、私は元子夫人に可愛がってもらった。猪木もそうだし、坂口征二、藤波辰爾、木村健悟、ジャンボ鶴田、前田日明、高田延彦、藤原喜明、ラッシャ―木村、アニマル浜口、越中詩郎、タイガーマスク(三沢)と、みんな気さくに接してくれた。

 

 その中でも、なぜか天龍からは別格感が伝わってきた。つい、先だってまでファンだった私は、正直いって天龍をあまり評価していなかった。というより、やはり猪木の延髄斬り、卍固めを天龍がパクって使うことを嫌悪していたのだと思う。ところが、実際に面と向かって接してみた天龍は本当に真摯な人物だった。この小生意気なド新人記者が精いっぱい背伸びしてインタビューをしているときにも、彼は真っすぐに答えを返してくれた。プロレスを語るにあたって、相手のキャリアも年齢も関係ない。そう言っているかのようだった。そこで私は初めて天龍の魅力に気が付いたのだ。そう、この姿勢がリング上でもそのまま試合に表れている。

 

 どんな質問(技)もすかさずにすべて受け止める、受け切ったうえで答え(技)を返していく。素敵な人だなと思った。私が実際に業界入りして価値観が変わったものをあげるとしたら、いくつかある。

 

 大好きだった猪木の衰えを日々痛感し、猪木に魅力を感じなくなってしまったこと。長州が聞きしに勝るマスコミ嫌いで、ますます長州に接近してみたくなったこと。天龍の人間性に思いきり惹かれたこと。大雑把に言うなら、この3つなのである。

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